フランス・ギャルStory
−Philips編−4

photo Jacques Aubert

 

休暇明けのSLCの読者投票で、彼女はシェイラ(Sheila)
フランソワーズ・アルディ(Fransois Hardy)に取って代わって
いた
シルヴィー・ヴァルタン(Sylvie Vartan)の後継者として
選ばれてました。

また、このニュースはジェラール・アサリア(Gerard Asaria)
ペンのもと、パリ・マッチ誌に転載されています。

さらに8月には、月刊Disco-Revue誌が“スーパーアイドル・
フランス・ギャル”というタイトルで、クリスチャン・セガン

(Christian Seguin)
の記事を誌面に割いています。

10月には、ファッションリード雑誌の“Mop's”誌で、大胆な
コミュニケーション手段:傘 を若者に認知させました。若者は、
そんな個性のある"旗手"に共感したのでした。

常に同年代に耳を傾けるそのアイドルはモードを生み、目標を
掴むことに苦しんでいる思春期の若者のリーダー的存在に
なります。

17歳の誕生日の機会に、週刊「Radio-TV」誌が、すばらしい
出来の彼女の写真を新しい表紙に捧げました。

また1964年10月15日、SLCの女性版「Mademoiselle Age Tendre」
誌の第1号が創刊され、フランス・ギャルが表紙になっています。

 

パリ西端、ブーローニュ(Boulogne)のPathe Marconiスタジオ
の外で、彼女はプロデューサーのKen Leanに会い、契約がない
4人のミュージシャン仲間を紹介されました。

Patheから発売された彼らの初めてのEPを聞いた後、彼女は
すぐに彼らと契約しました。彼らは、ドラムスの
Jacky Rault
オルガンの
Matt Camison、ギターソロのTed Tony-Cliff
(イギリス人)、ベースのJacky Mithierで構成され、彼女の
専属バンドになります。

12月、彼女はツアーに出発しました。彼女は、リチャード・
アントニー
(Richard Anthony)が主役をつとめる舞台に参加し、
1ヶ月間主役級として出演したのでした。

1965

1965年の初頭、現在もまだ彼女の輝かしい代表作となっており、
200万枚以上を売り上げている
『Sacre Charlemagne
(シャルマーニュ大王)』
を、彼女の父であるロベール・ギャル
が練り上げます。

これは16カ国語に翻訳され、日本やアメリカの学生の間で流行
しました。また、アルジェリアのようなアフリカのフランス語圏
では、若者の賛歌のようになっています。

ジャケットの裏に彼女の絵が書いてある、この5枚目のEP
(Philips 434914)
は、彼女のファンの大部分に匹敵する子供
向け作品となりました。

(ダンスの)フォックス・トロットのリズムに乗ったやさしい
メロディーラインの
『Au Clair De La Lune(月の光に)』
は、ロマンティックな愛の告白の内容で、Les Lutins
("小さな妖精")の合唱団によって支えられ、彼女が小さな
お友達に歌っている
『Bonne Nuit(ボン・ニュイ おやすみ
なさい)』
は、アラン・ゴラゲールロベール・ギャル
際立った個性を証明させています。

最後に収録されている、『Nounours(ヌヌルス』は、
フランス・ギャルが自分の子供っぽい部屋に多数のぬいぐるみ
を置いていることを知っている
ギュイ・マジャンタ
モーリス・テゼによって、彼女に託された哀歌となっています。



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このページの
作成日
01/01/28
最終更新日
01/01/28 04:46