フランス・ギャルStory
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photo Patrick DE MERVELEC
1963
| 彼女の本名、イザベル(Isabelle)は、1947年10月9日、パリの ポルト・ドレの近くで生まれました。オセール大聖教のオルガン 奏者であり、木の十字架少年合唱団の共同創設者でもあるポール ・ベルティエ(Paul Berthier)の孫娘で、ロベール・ギャルと音 楽家の妻、セシール(Cecile)との間にできた娘でした。父親は昔 からのオペラ歌手であり、シャルル・アズナヴール(Charles Az- navour)の『La Mamma(ラ・マンマ)』など何百ものシャンソン の詞をも書く作家でした。そんな父親は、イザベルを舞台裏へ連 れて行くことを大事と考え、彼女の学校をよく欠席させました。 彼女はその舞台裏で、エデト・ピヤフ(Edith Piaf)やジルベール ・ベコー(Gilbert Becaud)、シャルル・アズナヴールなどと会っ ています。そしてその時すでに彼女は、ピアノやギターの伴奏で スタンダード・ナンバーを歌うのが楽しみになっていました。 |
| 1963年の復活祭の休暇の時、彼女の父親は何曲かのシャンソンを テープレコーダーに吹き込むことを彼女に提案してみました。そ こで彼女は、ダニー・ロガンで有名なシャルル・アズナヴールの ヒット曲、『Donne Tes Seize Anz』と、エディ・ミッシェ ル率いるショセット・ノワール(Chaussettes Noires)の『Par- ce Que Tu Sais』、2曲ともジョルジュ・ガルヴァレンツ(G- eorges Garvarentz)の作曲を選びました。そして彼女の父親は そのテープを友人である、音楽出版社Bagatelle(バガテル社)の デニス・ブルジョワ(Denis Bourgeois)に委ね、これを聞いた彼 は次の7月第2金曜日、歌のテストのためにパリのシャンゼリゼ 劇場で彼女と会うことにしました。彼女は数曲のシャンソンのレ パートリー/彼女の父親が詞を付けたトマゾ・アルビノーニ(Al- binoni)作曲のアダージョのクラシック・テーマ『J'Entends Cette Musique(審判のテーマ)』、ショセット・ノワールの 『Parce Que Tu Sais』、Gam's(ガムズ)の『Il A Le Truc』、 オリジナル・タイトルでありデビュー後吹き込まれることのなか った『Pardonnez-Moi De Vivre』、リシャール・アントニーの 『Ne Boude Pas』、そしてデイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck) の『Take Five』/この数曲をもって父親といっしょにそこへ赴 きました。4人のミュージシャン、vieux loups du metierのメ ンバー、Pierre Michelot(ピエール・ミシェロ/bass)、Chris- tian Garros(クリスチャン・ガロ/drums)、Leo Petit(レオ・ ペティ/guiter solo)、そしてAlain Goraguer(アラン・ゴラゲ ール/piano)に支えられ、彼女はうまくいったと思いました。し かし、この時のデニス・ブルジョワはこれといった印象をあまり うけず、彼女はくやしい思いをしましたが、決して顔には出さず、 すべてを忘れることにしました。 |
| このページの 最終更新日 99/07/06 23:51 |