ちょっとこのところ御無沙汰の感じだったフランスの女性トップ・スター、
フランス・ギャルの久し振りのヒット曲を聴きましょう。
「夢みるシャンソン人形」をうたってユーロヴィジョンのコンテストでグラン・
プリをかくとくし、この曲が日本のポップス界でも大センセーションを捲き
おこしたのがもう今から約3年も前の1965年のことというのですから
月日の過つのは本当に早いものですネ。日本でのフランス・ギャルは
この「夢みるシャンソン人形」がヒットするやいなや、またたくまにスター・
ダムにのしあがり、「涙のシャンソン日記」「天使のためいき」をはじめと
する多くのヒット曲を発表しました。デビュー後一年あまりですっかり
有名になったフランス・ギャルですがどうしたことか最近では日本に
於けるヒット曲に恵まれないという状態がしばらく続き関係者やファンの
間で心配されていましたが、ようやくそんな不安を吹きとばしてくれる
ような新しいヒット曲が生れました。
かつてはシャンソン歌手であり、現在では有名なシャンソンの作曲家
ロベール・ギャルを父に持つフランス・ギャルは1947年10月9日、パリの
生れ。おじいさんのポール・ベルティエは有名な「木の十字架少年合唱団」
の創設者の一人であり、彼女の兄妹達も全部音楽家という環境に育った
フランス・ギャルは生れながらにして歌手になる宿命だったのかもしれません。
1963年10月9日、つまりギャルちゃん16才の誕生日に彼女は最初の
レコーディングの契約にサインをしました。そしてデビュー・レコードとなった
「はじめてのヴァカンス」(※注:「恋のお返し」が正しいデビューです。)が
かなりのヒット曲となり、この年の12月にはそれまで通っていたポール・
ヴァレリー中学を3年生で中退し、歌の道に専念することになりました。
以後放送やテレビにも出演し、フランス各地をはじめベルギーにまで巡業し、
1965年「夢みるシャンソン人形」の幸運を射止めました。
それからフランス・ギャルの成功に関して彼女の持って生れたその素晴しい
才能が最も大きな原動力であったことはもちろんですが、忘れてならない
のは多くの優秀な音楽家たちの協力があったことでしょう。
その第1は云うまでもなくお父さんのロベール・ギャルの助力です。彼女の
レパートリーの選曲から作詞までディレクターのデニス・ブルジョワと相談
して決めているお父さんの力を忘れてはいけません。
それから彼女のために「夢みるシャンソン人形」「涙のシャンソン日記」など
多くの曲を提供している作曲家、セルジュ・ゲーンスブールもフランス・ギャル
にとって歌の恩人といってよいでしょう。
もう一人の重要人物は彼女のレコードの多くの曲の伴奏を指揮し、アレンジ
を担当しているアラン・ゴラゲールでしょう。彼はフランス第1線級のピアニスト
として又映画音楽の作曲家としても有名な人です。
こうした一流アーチスト達に見守まれて成長したフランス・ギャルが今度は
曲調が彼女らしい可愛い魅力に溢れたものですがJ・ダッシン、J・M・リヴァット、
F・トーマスといった彼女にとって新しいメンバーによって作詞・作曲された
「おしゃまな初恋」(Bebe Requin)-A面-を大ヒットさせたことに注目しましょう。
(文化放送・ディレクター 横山和光)
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