我等のアイドル、フランス・ギャルの新しいヒット曲が又々登場しました。
1965年のユーロビジョン・コンテストに「夢みるシャンソン人形」で優勝、
一躍世界的なスターとなった彼女は日本でも次から次へとヒット曲をだし、
わずか一年たらずの間に彼女については頭のてっぺんからつま先まで
何一つとして知らないところはない位紹介されつくしてしまいました。
今さらフランス・ギャルのバイオグラフィ(略歴)を書いたところで“あいつは
一体何をやってるんだイ!”なんて云われるぐらいがオチですし……、
ほんとにこうゆう人のレコード解説を書く位困っちゃうことはありませんネ。
でも何か書かなければファンの皆様にも申訳ないし………小生困り果てた
あげくフランスの男性週刊誌としては有名なFormidable(フォルミダーブル)
の'66年11月号からフランス・ギャルの近況紹介の記事の一部を御紹介
して今回はカンベン願うことにしました。
“フォルミダーブル”に曰く、彼女はそのかすれた声と全ての歌と1m59cm
の背たけ、42キロの体重、19才という年令で一億の日本人を魅惑しました。
(少々オーバーな気はしますがネ……これは小生の言)そして彼女は
日本から沢山のファンレターをもらい一番新しい曲“Bonsoir
John-John”
(ボンソワール・ジョン・ジョン)はヒット・パレードを上昇しています。(これも
少々気が早い、だってその曲は今貴方のお手元にとどいたばかりですから
ネ)日本へ行くときいたとき、私(ギャル)は有頂点になりました。日本では
皆とても親切でした。でも私は少し退屈でした。だって私は同じ年代の
お友達が欲しかったのです。でもそれは不可能でした。あまりにも私のこと
を皆知りすぎていたので私は散歩もウィンドウ・ショッピングも全然出来
なかったのです。(本当にお気のどくでした――ファンの皆さんもほんの
少しばかり考えてあげて下さいネ。これは小生)
私は自分の歌が決してうまいとは思っていません。少しずつ進歩している
とは思いますが舞台で歌う時はやはり苦労します。特に高い音の所は
自分でも少々困りものだと考えています。だから私は“Bonsoir
John-John”
(ボンソワール・ジョン・ジョン)―このレコードのA面の曲―のようなソフトな
歌の方が好きです。そして、この歌が好きなもっとも大切な理由は、この
歌を歌う時私はても真面目な気持になります。それは私達若者が誰もが
感じたようにケネディ大統領の死を聞いた時、私も大変ショックを受けた
からです。そして彼を通して彼の奥さん、子供達を愛するからです。彼の
小さな子供達は私をいつも微笑ませます。そして私がおやすみなさいを
云うのは彼に対してなのです。若しそう呼びたかったらこの歌を子守唄と
云って頂いてもいいと思います。そしてこれは、とても勇敢な歌なのです。
だって戦争や兵隊や死について歌っているんです。私はこの歌を歌うたびに
平和を愛した故ケネディ大統領のことを思い、いつまでもこの世が平和で
住み良い世界であることを私達若者の力で守らなければいけないんだと
思って勇気がわいてくるような気がします。そしてこの歌は私が始めて
両親達に反抗する歌でないものとしても記念すべき意味のある歌だと
思っています。
我等のアイドル、ギャルちゃんもこんなに立派に成長しました。君もギャル
ちゃんに負けないようにがんばらなくちゃネ………。
B面の“シャンソン戦争”(La Guerre Des
Chansons)はパパのロベール・
ギャルとお兄さんのパトリス・ギャルの共作になる曲で、フランスのヒット曲
界でも旋風をまきおこしているイギリス生れのエレキ・ブームを戦争に
たとえてちょっぴりひにくったヒット曲です。
<文化放送・デレクター
横山 和光>
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