フランス・ポピュラー界の人気者、フランス・ギャルとクロード・フランソワ
が日本語でうたった最新ヒットをお届け致しましょう。
■夢みるシャンソン人形
フランス・ギャルの名を全世界に知らしめた今年のユーロビジョン・
ソング・コンテストの優勝曲。作詞・作曲はフランス・シャンソン界で
そのユニークで文学的な作風を誇るセルジュ・ゲーン・スブール。
彼はブリジット・バルドー、ペトゥラ・クラーク、ジャン・クロード・
パスカル等の曲も書いており、フランス・ギャルのための曲としては
これが第3作目です。
サーフィン・ツイスト風のリズムにのってギャルが、シャンソンを歌う
自分の孤独な心と夢を人形にたとえて歌ったもの。日本語作詞は
岩谷時子さん。
■ドナ・ドナ・ドーナ
「素敵なあなた」(Bei mir bist du schön)の作曲者、ショローム・
セクンダの曲。アメリカではジョーン・バエズ等が歌って知られて
います。フランスではフォーク・ソング調の歌を好んで歌う、
クロード・フランソワが自分で歌詞をつけて歌い大ヒットし、パリの
ヒット・パレード「サ・リュ・レ・コパン」で64年12月に第3位まで
ランクされました。
日本語作詞は安井かずみさん。
★パリの日記より
1964年10月12日 曇
夜、服を着かえて食事。オランピア劇場に向う。今夜がクロード・
フランソワの最終日だ。公演終了后楽屋で彼にインタヴューを
申込んである。友人の佐藤亜士君とマドモアゼル・ジャクリーヌ
も一緒。亜士君は佐藤敬画伯の子息でパリで画を勉強している。
劇場はもう始まっていた。入口にはクロードの写真、廊下には
レコードのポスターが一面に貼ってある。場内は満員。クロードの
出番までにはまだ1時間以上ある。このオランピアに限らずパリの
劇場は日本の寄席的構成で、歌、踊り、手品、奇術といろいろな
仕組でお客を楽しませる様になっている。しかし第1部と第2部に
分れており、休憩をはさんで第2部が呼びものの真打ちの1人舞台
となるわけである。だから日本のように1人だけのリサイタルと云う
のは殆どやらない。しかし、第2部がリサイタルに当るわけなのだ。
この第2部だけでもタップリ2時間はある。第1部の終りは“ウォーク・
オン・バイ”で当てた黒人女性歌手ディオンヌ・ウォーウィックが
拍手の嵐でニコニコと退場した。第2部、音楽と一緒に幕が開く、
クロード・フランソワが舞台えかけ出してくる、ツイストを踊りながら
ヒット曲を歌い出す。満場ワレルばかりの拍手とかん声!
会場の
客も一緒に歌い出す。歌詞を知らない僕だけが歌えない。困って
しまう。それから30分は歌いどおしの動きどおし、動くと云うより
アバレルと云った方がぴったりだ。よく息が続くと思う。汗だくだ。
ひとくぎりついた処で自分のコンボを紹介する。その后には
オランピアのクリスチャン・シュバリエ指揮のビッグ・バンドが
並んでいる。本当にサーヴィス精神に徹している。パリでは
オランピアに出られると云うことがなかなか大変なことなのだ。
特に真打になるのには容易なことではない。勿論失敗は許され
ない。キビしい舞台なのだ。終了后楽屋へ行く−−と一口で云う
もののこれが大変。入口にはお巡りさんが立っていていれてくれ
ない。それよりもおしかけるファンを押し分けるので今度はこっちが
汗だくだ。しかしジャクリーヌが上手く話して道をあけてくれた。
楽屋でのクロードはまだ興奮していた。「すばらしい舞台でした」
と云うとガウンを羽おって汗をふきながら「成功で終ってホッとした、
今日で丁度三週間です」「あなたはずい分舞台であばれますネ」
「最近身体の訓練に一週に二度位10キロか15キロ走ります」
「ウーン成程・・・・・・」「日本の皆さんにも僕の歌を聴いて貰いたい
ナ」。シナトラやサミイが好きだと云うエジプト生れのクロードは、
一寸神経質そうに見える顔をふきながら上機嫌で云った。今夜は
彼にとって素晴しい夜なのだ。
1964年10月14日 雨
夕方から降り出した雨がだんだん強くなった。タクシーがつかまらず
約策の時間に遅れてフィリップス社の前に到着すると、すれ違った
車が後方で止った。窓を開けてオジさんが呼ぶ「ムッシュー!」
「ウイ」思わずふり返る。「今迄待っていたんです。フランス・ギャル
です。この車えお乗り下さい」見ると可愛いお嬢さんが運転席の
隣りにチョコンと坐っている。遅れたお詫びを云って後にのり込む。
「すぐ近くです、家へ行きましょう。私は父のロベールです」「えっ!
あの作詞家の・・・?」「そうです。ロベール・ギャルです」。フランス・
ギャルのお父さんが彼だとは知らなかった。これは参った。一見
学校の先生に見えるがなかなか話せそうなお父さんだ。家に入ると
お母さんから弟から犬までが出迎えてくれた。使い古した家具、
ピアノ、普段我々が生活しているのと少しも変らない親しみが感じ
られる。なんとなく雑然としていてしかも清潔で、気取りが全くない。
暖い雰囲気のする家庭である。「どうです一杯、フランスの代表的な
アペリチーフです」とロベール氏がアブサンの水割りをすすめてくれた。
「とてもイイ家庭ですネ」と云うと「そうですか、我々は昔から此処に
住んでいます・・・・・・そしてこの家では自然にシャンソンの雰囲気が
あります。私の友人の作曲家、作詞家、歌手がやって来てお囃り
しますし、ギャルも一緒に仲間入りするのが普通ですし・・・」。
「ギャルさんは何時頃から歌っていたの?」「そうネ、ずい分前から
ネ、学校などで歌っているとお友達が、どうして歌手にならないの?
って云うんです。何時もそう云われていました。そこで1年半位
テープレコーダーを使って歌とギターを練習したんです。それから
それをパパに見せたら、パパがパパのお友達に見せてオーディション
をしてくれました。確か63年の7月11日でした。その后4ヶ月して
最初のレコード "はじめてのバカンス"(Les
Premier Vrais Vacance)
(※注:「恋のお返し」が正しいデビューです。)が出たんです」
「今迄の自分の歌ではどれが好き?」「みんな好きだけど、でも
その中では“はじめてのバカンス”“ジャズ・ア・ゴーゴー”
“クリスチャンセン”かしら・・・・・・」「好きな歌手は?」「フランスでは
シルヴィ・バルタン、フランソワーズ・アルディ、それに若い男の子で
モンティ、彼は私のお友達です。クロード・フランソワ、シャルル・
アズナヴール・・・まだまだ沢山みんな好きだワ」「スポーツは?」
「フット・ボールやバレー・ボールをやるの、男の兄弟が2人いる
でしょ、だから・・・・・・」彼女はギターを取って小声で歌い始めた。
するとコッカスパニョールが彼女のひざに躍り上った。“ヌガー!
ヌガー!”と彼女が犬の頭をなでる。両親はにこにこして見守って
いる。なんだか知合いの家で話をしている様な感じだ。彼女は
少しも飾り気のない真面目な頭のいい大人しいお嬢さんだ。きっと
学校の成績もよかったに違いない。実にいい家庭だ。そろそろ
帰らなければならない時間だ。もっと居たいのを我慢して腰を上げる。
家中の人が扉まで送りに来てくれた。パリの雨はもう上っていた。
ほのぼのとした気持で濡れた石畳を歩いた。
[金子貞男 J.O.Q.R
プロデューサー] |